鍵はポストに入れておいて

九州のネット友達が出張で来阪されることになった夏。滅多にない機会だし是非お目にかかりたい、そうお願いして土曜日のお昼にお時間を割いて頂く。
僕からは北海道土産の白い恋人を、友達からは関西圏では入手困難な高級チョコを頂いたので、少し気の早い二人は初対面の挨拶を兼ねて駅のホームでちょっとしたお土産交換会。ぬかるんだチョコが口元を終戦直後の子供めかせてとても楽しい。

僕の地元、枚方にある喫茶店SEWING TABLE COFFEE
草原カフェの隅っこのテーブルに並んだカルピスとアイスコーヒー。扇風機とサイフォンが立てる音だけが静かに響く店内に、薄いグレー地の空とえんじ色した小鳥柄のワンピースがとてもよく似合っていたので、照れくさい僕はそっと目を伏せる。ゆっくりと流れるこの店の時間が、次第に二人の緊張を解きほぐして、やがて僕らは小芝居じみたやりとりに戯れて笑い声をあげた。

にわかに華やいだ時間はあっと言う間に過ぎて別れの時。
「楽しかったね、また」名残り惜しむようにして手渡した白い恋人の袋をぶら下げてゆっくりと帰路に就いたあの娘の後ろ姿を見届けて僕も電車に乗り込んだ。

翌日、あの娘からメールが届いた。

「大胆すぎます」

その文字列にショックを受ける。紳士然とした立ち振舞いには定評のある僕が、一体何をしでかしたというのだろう。「実は会談中チャックが全開で下心が見え隠れしてました。ダブルミーニングで」と言うのであれば大いにあり得そうだが、そうした性癖は日記上で余さずお伝えしてきたために今さら驚かれはしない気もする。それ以外に非礼にあたる行動に思い当たるフシもない僕は、首をひねりながら読み進めた。

白い恋人の中に鍵が入ってましたよ!」

???
一瞬、何をおっしゃっておられるのかが理解出来なくて固まっていたが、慌てて鞄の中身をひっくり返すと本当に自宅の鍵束が失くなっていた。白い恋人を手提げ袋ごと鞄の中に入れて家を出たのは確かなのだが、一体どこでどうボタンをかけ違えたら、こんなに島田紳助じみたロマンチックに手を染められるのか、自分自身に驚きを隠せない。どうやら僕はまたしても無自覚のうちに、まさかという坂を上り詰めてしまったようだ。初対面の眼鏡男にいきなり自宅の合鍵を、それも「白い恋人」といかにも暗喩する想いが込められていそうなお菓子にそっと忍ばされてしまった乙女の胸中たるや、さぞかし背筋の凍る類いのものだったに違いない。ましてや、これが実家暮しの三十路男の手によるものとあらば、その行為の意味するところは深遠な含みが無限大の広がりを見せて、なんだか家族ぐるみで恐ろしくもある。物事の順序を度外視するとしても、この無言の内に示された申し出はあまりに唐突過ぎて、どう考えても受け入れられる要素がまるで見当たらなかったのである。

昨日、あの娘から手紙が届いた。封を開いて、送り返された鍵束を手に取ったら、まだ始まってもいない恋のラストシーンだけを見てしまったみたいで、胸の左奥が鈍く痛んだ。