大人割引

poqrot2006-01-09

エロビデオ店の売り上げが下降の一途を辿り、次第に経営を逼迫し始めたある日、オーナーが神妙な面持ちで話を切り出した。
それは地下鉄に「大人割引」という制度があり券売機で「特別割引」ボタンを押しさえすれば半額になる、だから今後の通勤手当は定期代ではなくこの割引後回数券の実用分としたい、と言うものだった。
真っ先にこの初めて耳にする「大人割引」なるものについて質問すると、オーナーも知人から聞いた話で詳しくは知らないとのこと。 しかし彼自身既にこの割引券を使用しているのだと言う。

大人割引。小人割引と一字しか違わぬというのに、その響きのなんと腑に落ちないことか。
字面を鵜呑みにして大人を無制限に摘要するとなれば、それは小人割引との併用から生きとし生けるものすべてが割引かれる事態を意味するのであり、平たくいえば人間割引である。その博愛に満ち溢れた精神性を重んじれば、人間だもの割引という極めてみつを色の濃い呼称に言い換えることだって出来そうだ。

しかしこども全てに適用される小人割引とは異なり、大人割引からは大人の振る舞いをした者だけに贈られるフェアプレー賞的なニュアンスがそこはかとなく汲み取れないでもない。
それは二人掛けの椅子では必ず奥につめて座るといった些細なものから、今まさに痴漢行為に手を染めんとする青年の震える手を掴んで視線でたしなめる、といった防犯チックなものまで多岐にわたる。
賞の性質上それは自薦より他薦が望ましいし、キャンペーンの際にはたった今、僕の脳内で名演を見せた長塚京三の起用を強く推す。

さて、合点のいく説明もなくどこか後ろめたい思いを抱えながらも、翌日僕はこの割引回数券を購入した。そこにはまだ広く知られていない裏技を試すことへの高揚も確かにあったように思う。
始めの数回は伏し目がちに改札を通り抜けていたので気づかずにいたのだが、ある時自分の通った改札だけランプが光っているのに目が止まった。
ハッとして遠く離れた駅員に目を向けると咎めるような目でこちらを凝視している。
この瞬間僕はこのマル秘お得情報が完全に違法であり、かつ筒抜けであるとを確信した。
そもそも「子ども」ボタンの英語表記が「CHILD」なのに対して「特別割引」は「DISABLE」と有無を言わせぬスタンスで不可なのだから最初から推して知るべしだったのだ。

検索しておぼろげながらに把握出来たのは、どうやらこれは身体障害者の方や原爆被災者、母子家庭の方、定時制高校の生徒らに摘要される割引らしいという事だった。
翌日、僕はオーナーにこの検索結果と共に今後は使わない旨を伝えた。
オーナーは「俺はもし止められても母子家庭の子やって言い張る」と手を引くつもりはないようであった。
確かに日頃からチェーンをじゃらじゃらさせた彼はこれみよがしに鍵っ子と言えたのかもしれないが、彼の母子家庭感が通用するとすればそれは彼が親サイドの場合に限るのであって、当時42才の彼が子サイドに扮していくら細やかな心の機微をも熱演してみたところで、それは押しつけがましいバックボーンに過ぎず功を奏すとは考えにくい。

その後ほどなくして閉店へと追い込まれため、後日談を聞くことはついぞなかったのだが、彼の一人芝居の出来映えが未だに気になっている。