ボクのヘアーが長い理由

poqrot2005-04-22

街を歩く。
夕日がアスファルトに照らし出した自分の影を見てしょんぼりする。
長い。長過ぎる。後ろ髪が長過ぎるのだ。
ひとたび正面から風を受けようものなら、後ろ髪がフワッとなびいて松田聖子のシルエットを落す。もちろん80年代初頭のである。
30代の男盛りにとって自らの容姿の中に聖子ちゃんカットの残像を見留めることほど悼ましい瞬間はない。
このところお会いした方々からも、後頭部がいやにこんもりしてますね、と半ば驚嘆めいた感想を頂くことがしばしばあり、その都度全くの同意を示しておきながら未だこの有り様なのにはそれ相応の訳がある。
ひとえに懐事情。親指と人さし指で作られたサークルが暗喩するところのアレの著しい欠乏による。決して自ら買って出た後頭部もっこり事件ではないのだ。
そして最後の床屋から4ヵ月経過したそのツケがこんもりした形となって今僕を苦しめる。
なにもジャンボ尾崎カットを前提としたバリカン入刀待ちを決め込んでいる訳ではない。むしろその心情は狼カットを強いられた子供たちの決して親には届かない悲痛な叫びにも似てやや切ない。
30代、後ろ髪の長い男は今日もそうやって気丈にふるまっている。