マナー問題

数日前テレビを見ていたら「叱る大人の会」という団体を紹介していた。
電車内での携帯電話に始まり、ウォークマンから漏れる大音量など迷惑行為の一切合切を注意して回るらしい。
ここで言う迷惑行為とは公共の場でさながら自室であるかのように振舞われる行為全般を指すので、化粧やメール、僕が過去に誇らし気に語ってみせた電車内の飲食行為も十分にバッシング対象にあたる。
社会に蔓延するこうしたマナーの欠如を勿論憂いはするけれども、オールバックの中年男性が睨みを効かせながら、これ見よがしに権力をふりかざす姿を見せられると反発する別の感情も生まれないではない。
例えば攻撃対象を若年者層に絞って実に憎々し気である点も抵抗を感じずにはいられないところだ。団体名からして鉾先が非大人にあることは明確だが、今さら指摘するまでもなく傍若無人な振舞いは若者だけに見られるものではない。電車周りに限定してみただけでも、およそ100度の鈍角開脚が勇壮なサラリーマンや、座席に荷物を鎮座させて頑なな主婦等の混雑状況を省みない一群、割り込み乗車が誇らし気ですらある老人など、TPOをわきまえぬ大人を論えば枚挙にいとまがない。
しかしこうした迷惑行為の中にもグレーゾーンは確かに存在すると思う。
僕の記憶の片隅にもこれらステレオタイプな迷惑行為とは一線を画して、一際異彩を放つ光景がある。
それは何年も前の平日昼下がり、ガラガラに空いた電車でのことだった。
乗車するや向かいの座席にどんと座った中年女性。
おっかさん然としたその女性は買い物袋から包みを取り出した。
何かを食べるのだろうかと思って眺めていたが、事態は少々異なった。
彼女がやにわに取り出したのは海老。そして新聞紙を広げると殻を剥き始めた。その指捌きの傍若無人さといったらこの上ない。
あまりにも急き過ぎた下ごしらえ。
そして下処理中の人間としても速過ぎる時速60kmの移動。
彼女を先走らせたのは家庭か。社会か。
この特段のサプライズにしばし打ちのめされていたが、時を経た今、注意の鉾先としてヤリ玉に挙げるには海老という食材はあまりにもおめでた過ぎやしないか、という気がしないでもない。何しろくすんではいても茹でれば幸福の桜色に染まるのだ。一体誰に祝賀ムードに水を指すような真似が許されるというのだろうか。
車内における夕食の下ごしらえの是非について、僕は当分の間、答えを出せそうにないと思った。