ホールドアップ

京阪電車京橋駅の公衆トイレで用を足し、その場を後にしようとした時のことだ。
出入口から2メートルほど離れた位置に、こちらに向って歩を進める老人の姿を見留めてハッと息を飲む。
下腹部に手をやった老人がズボンのチャックから取り出し右手に添えた剥き身のそれは、人類が衣服を獲得して以降、とりわけ外界においてはまず目にすることがなかったであろうはずの松茸めいた凶器そのものであったからだ。身体の一部である以上は主人たるご老体と全く同じ年月を共にしてきたのにも関わらず、永遠に”息子”として位置付けられた排泄器官。その陰茎という名の肉銃を突きつけられて僕は全身が凍りつくのを感じていた。
この老人に金品を要求されたわけでも「地面に伏せろ」と命じられたわけでもない。おそらくは気が急く余りに行き過ぎた手際の良さを発揮してしまっただけなのだろう、と無事だった今では思える。そこにあったのは悪意ではなく底意のない尿意だったと。
しかしこの時、僕の脳裏に浮かんでいたのが、C.C.ガールズがD.D.ギャップス名義で歌っていた「こめかみにマグナム押し付けられた時言える言葉だけが真実」に対してのアンサーソング的な意味合いをたたえた「お願いですから撃たないでください」的懇願調の文言であったことを隠そうとは思わない。
銃のオーナーに殺意があろうとなかろうと、銃口を向けられた当事者が感じるのはただただ恐怖なのである。
悪臭、黄ばみ、屈辱感という殺傷能力を持ったこの老人のマグナムを前に、僕に一体何が出来たと言うのだろう。
アンモニアギャングを勇猛果敢に取り押さえるために、放尿という名の弾丸を被弾するだけの覚悟は僕には備わっていなかった。

日常生活を安穏と送っていてはならない。
銃社会とは縁遠く思われているこの日本の日常生活にもホールドアップの危険性は確実に潜んでいるからだ。
みなさんもどうかそのことは心していて欲しい。
そう被害者として願わずにおれない。