ボクとANATAKIKOU

昨日はFM802フラワーアフタヌーンの公開録音がある万博公園に足を運んだ。
アナタキコウを観るために。
日曜の夜、バナナホールで目にしたワンマンライブはあまりにも素晴らしくて、それは松浦君も北條君も藤井君ももう別の世界の人になってしまった、と感じてしまうほどだった。
そう、彼らはもう僕の手の届かない遥か遠くの高みに昇り詰めてしまったのだ。
この日遠くの街までぶらりと出向いてみた本当の理由は、感動の残り香に引き寄せられたせいではなくて、あの夜漂った諦念、永久の離別を自分自身に告げるセレモニーのためだったのかもしれない。
今から話すことはあまり知られていないし、公にするつもりもなかったことだが、永久に届けられることのない手紙として今ここに僕とアナタキコウの繋がりを記しておこうと思う。


彼らとの出会いは5年前だった。
きっかけはご多分に漏れず出会い系サイトだった。
21世紀以降に現出された巡り会いの半分は出会い系だと言っても差し支えないと僕は思っている。
当時の僕は各種出会い系に大金を投じては待ち合わせをすっぽかされる、荒れた生活を送っていた。
ポイントを使わせるだけ使わせていざとなれば切り捨てる悪徳業者のそのやり口に、僕の心は野良犬のように荒み目は猜疑の色に彩られていったが、なぜか出会い系を止めようという考えだけは思いつかなかった。
少しうっかりしていたのかもしれない。

そんなある日、僕が各掲示板に手広くコピぺした「アメリみたいな恋がしたい」というメッセージの一つに反応した女性、否、女性になりすましたサクラその人こそが松浦君だった。
数多の書き込みの中で際立ってピュアな言葉でした、と彼は言った。
こうして始まった二人のやりとりは次第にトリッキーさにおいて熾烈を極め、それがやがて性別を超越した人類愛へと昇華するのにそれほど多くの時間を費やさなかった。
現在の彼の風変わりなMCは僕の当時のメールの文体を模倣したものだ、と言ってしまえば大袈裟に聞こえるかもしれないが、少なからずインスパイアされていたことは本人も認めていると人づてに聞いた。
オクテ同志らしいやりとりが半年ほど続いた頃、しびれを切らして「会いませんか?」と切り出したのはまーきだったけども、その時を待ち望んでいたのはまーしも同じだった訳でそれは自然な流れで泉の広場で待ち合わせることになった。
まだ肌寒い3月初旬にタンクトップとホットパンツ姿は随分堪えたがそれが僕らの目印だったのだから仕方がない。
「一人じゃ恐いから」とまあきは北條君と藤井君も連れての3対1対面。
今思えば僕も随分不用心な真似をしたものだが、その頃には文中から滲む彼の人柄に僕は微塵も疑いを抱いてはいなかったのだ。
なによりもタンクトップ姿で現れたことで僕は彼らを信用するに値する人たちだと思い安堵した。
それからの僕らはまるで未知であった時代を取り戻すように逢瀬を重ね、親交を深めていった。
偶然にも全員がオネエ言葉だったことも仲良くなる速度を早めていたのかもしれない。
彼らがバンド名を「アナタキコウ」にしたと知った時、ああ彼ららしいな、と思った。
なぜなら僕達の呼称はいつだって「アンタ」だったし、人の話を聞かずにまくし立てる彼らに僕が絶えず口を酸っぱくして言った言葉がまさしく「アンタ!聞こうょ?!」だったからだ
少しだけ言い換えたたのは口癖の当事者たる僕が衆知の目に晒されることに危惧した彼らなりの配慮だろう。


名曲「リリー」を聴いたのはその数カ月後だったが、由来が出会い系サクラ時代の体験とそのハンドルネームであることは彼らも明かしてはいないはずだ。


「アーチ越えて」はまーきが自転車で橋を渡っている最中思いついた、と以前語っていたが、その時実際にペダルを漕いでいたのは僕の方でまあきは後ろに座っていただけだということも今初めて明かされる事実のひとつだと思う。


このように正式メンバーではなかったものの最年長者として僕が彼らの間で果たした精神的支柱としての役割は大きかった訳だが、彼らの成長が僕の予想を上回る早さで進化していることも事実だ。
あの素敵なワンマンを観て僕は悟った。
もう僕の力は必要ない、と。


バイバイ、アナタキコウ
僕のアナタキコウ




※エイプリル、エイプリルネタですから。