社会の風は冷たかった

金銭。異性。時間。
そのあたりのバランス感覚を著しく欠いた人々というのは社会において決して少なくないようだ。
そして突きつめて検証してみれば、誰もが多かれ少なかれガードの緩い部分を持ち合わせていると言えるのかも知れない。
僕にとってのそれはズボンのチャックにあたるような気がする。
比喩としてではなく物理的な意味でのチャック。
チャックに無頓着。
語呂が良過ぎるこの属性に正直驚きを隠せない自分もいるが包み隠さず申して真実なのだから仕方がない。
そうした人となりである以上、かねてより僕はたくさんの方々より「社会の窓の管理がルーズ過ぎる」として数知れぬほど多くのご意見を頂戴せざるを得なかった訳だが、それにも関わらずこの悪癖を改善出来なかった事はひとえに怠慢によるものだったと認めざるを得ない。


当時、頻繁に電車一人旅に興じていたと記憶しているので昨年のことだったと思う。
この頃の僕は最寄り駅のトイレでいざ放尿、という段になってチャックが全開であることに気付く、それを半ば習慣としているところがあった。
正直に言えば、自宅より駅までの風通しの良い徒歩8分を経て気付くこのサイクルに無意識の内に爽やかな外気との触れあいを満喫していた側面もあったことを否定はしない。
しかしこの日僕はトイレの鏡に映った自分を見て驚愕することになる。
いつものように社会の窓は開いていた。
ドンマイ、ここまではいつものことだ。
しかし開いているのはそれだけではなかった。
チャックの奥深くトランクスの前ボタンまでもそれは綺麗なレモン形のフォルムを成してぱっくりとご開帳である。


猥褻物陳列罪


幼少のみぎりより罪名は知っていた。
しかしこの犯罪は確信犯に限られた、内気眼鏡にはおよそ縁遠いものだと信じていた。
まさか知らず知らず猥褻物を陳列しながらウォーキングに興じてしまうだなんて。
そう言えばよりによって通りすがりの人々に笑顔を振りまいたような気もしてくる。
あの笑顔の意味をすっかり取り違えられていただなんて。
いろんな意味でぶらり一人旅だったなんて。

逮捕されても「ポクロポロリ」では済まされぬこの事件を最後通告と受け取めた僕の社会の窓は以後ぴたりと閉ざされたままだ。