眼鏡の死

poqrot2005-02-02

リザード吹きすさぶ寒波に見舞われた今日未明、悲劇が訪れた。
自らを至福の睡眠に誘おうとベッドに布団乾燥機をセットしその上に布団を被せたその刹那、左膝下になにやら異物感を覚えたのだ。
取り上げてみるとそれは無惨にひしゃげた眼鏡。
そうだった。
僕はたった今眼鏡を布団に放り投げていたのだった。
餅太りにより身重となった僕の全体重を一身に受け止めた眼鏡は平たく言えば平たくなっていた。 その平たさといったら他に類を見ない。
取りあえず再利用に耐えられるものかどうか試してみることにしたが、あまりにひしゃげ過ぎていてツルが全く顔幅に開かない。
開けられる気がしない。
どうやら本格的に他界されたご様子である。
予備の眼鏡もコンタクトも持たぬ僕がどうやって眼鏡なしで生きていけるというのか。
明日直ちに眼鏡を買いにいくにしても裸眼0・01で街を出歩くだけのガッツはこの時点ではまだない。
「メガネ、メガネ、」
きー坊に眼鏡を外されたやっさんの姿とその余生に自らを投影してちょっとセンチメンタルになった僕はここでしばし回想に耽ることにした。


僕と眼鏡のツイスト現象に絡む逸話は数多い。
それは僕が夜中でも電気をつけずに部屋の中を移動する癖ゆえ閉じた扉に顔面から体当たりすることを年中行事としているからであって、その祭りの痕跡として眼鏡はいつだってツルが開いた不愉快なシルエットをたたえている。
以前の職場では激突翌日に同僚から「ムラタさん眼鏡が斜めになっているのがすごく気になります」と指摘を受け、すみませんと言いながら左右のツルをグイグイ捻って元に戻そうとしたところ逆方向に捻ってより悪化させてしまい「その駄目っぽいルックスわざとですよね」と冷笑を浴びたのだった。
鏡で確認すると片目がフレームからはみ出すほど斜めになっていて我ながら驚愕に打ち震えたものだ。


このように三十路となった今でも悲劇をもたらし続ける僕の暗闇高速運動のルーツを辿るとそれはもう古く紀元は西暦1986年に遡る。
あり余る体力を有した眼鏡の中学生ムラタは何故だか暗闇の部屋の中を一心不乱に走り回っていた。
敬愛する野球選手の名前を連呼していたような気がしないでもないが記憶は定かではないし、忌み嫌われてきた人生の記憶がその方が賢明だと僕に耳打ちしている。
とにかく美しいランニングフォームを保ったまま顔面を扉にしたたか叩きつけるとその勢い凄まじく眼鏡は悲鳴をあげてツルの根元からポッキリと折れた。
この事故の肉体的ダメージがその後僕にもたらした影響についても考察する必要はあろうが19周年である今はまだその時ではない。
さて当時の眼鏡と言えば大変高価な代物である。
買ったばかりの眼鏡を買い替えてくれとはとても言えない僕は、瞬間接着剤で切断面を接着させた上で糸をぐるぐる巻きにして補強することにした。
白い糸を眼鏡フレームの色に合わせてマジックで丹念に黒く塗りつぶしてもう大丈夫と思ったのだが、このぬかりないはずの偽装工作は犯人の意図とは正反対に驚くほど多くのクラスメイトの注目を集めることになってしまう。
「見ていて悲しい。俺が針金で作ってやるからもうやめてくれ」
たまりかねた友人がそっと口添えたメッセージを思い返すと今でも胸が張り裂けそうだ。

…そうか。いざとなれば糸だな。糸があった。
折れたとしても糸をぐるぐる巻きにすればよい。
そう思った2005年のムラタは90度近くに曲ったツルを力任せに押し戻してみた。
おや。案外いけそうだ。
随分と上目遣いに物を見るレンズになってしまったがなんとか顔幅には開くようになった。


さらにグイグイと力を加えてみる。
直った。
根元の金属はS字ラインに彎曲こそしているが全体としては全く違和感はない。
MEGANE IS BACK.

紆余曲折はあったがどうやら眼鏡も僕もまだ終わっていないようである。
今はそう信じるしかない。