妖精に出会った

「早速お仕事ですか?」
フジファブリックのライブに向うために駆け込んだ夕方の電車。息を切らして座席に腰を下ろした僕の隣を、たった今ぎょっとするような素早い動きで陣取った女性が話し掛けてきた。振り向くと白髪をひっつめにしたその老婆は、僕の手にあるPHSから視線を上げると瞳をまじまじと見据えてきた。ご近所さんだったろうか、と記憶を辿ってみたのだが、その顔には全く見覚えがない。それよりも、どうしても気付かずにはおれない、その非難するような口ぶりが何にも増して僕を困惑させる。
老婆はなおも話し続けた。

「私の情報を送るつもりでしょう?」

老婆がほぼ妖精と言い換えていい存在であることが明らかになったこの瞬間、今日はついていない、この思いを僕は益々強くした。
そもそも一枚余らせたチケットの処遇を前日まで放置していたのがいけなかった。慌てて掲示板に書き込んだ募集はあまりにアクションを起こすのが遅過ぎたのか、引き取り手の目に触れることなく出発の時を迎えていた。そして開演まで数時間を残すばかりだという頃に、往生際悪くモバイルからミクシィにアクセスしたがために、こうして絶望的にわかりあえそうもない妖精の逆鱗に触れるに至ったのだ。

「一日に50人も情報を送られてるとね、すぐにわかるんだから。」
「お金のためならなんだってする子なのね。恥ずかしくないの?」
老婆の怒りは一向に収まる気配が見られない。
「ほらっ、あいつもよ!」
次の駅から乗り込んだサラリーマンが向いの座席でメールを打ち始めると、それに咎めるような一瞥をくれた老婆は舌打ちせんばかりに不快感を露にした。
「お金のためなら悪い事でも平気でするの?そんなにお金が大事なの?」
乗換駅までの3区間の辛抱だと言い聞かせて、僕は自分に向けられた非難に聞こえないふりを決め込んでPHSのボタンを押し続けた。

(これまでは機先を制すれば水際で食い止められたのに、、やだ、なんで?こいつ言うことを聞かないよ…!)
なおもPHSを手放そうとしない僕に、彼女がそんな焦りと苛立ちを募らせていくのを僕の電波がキャッチした。

次の瞬間、老婆はすっくと立ち上がると僕の前に立ち塞がった。恐る恐る見上げてみると、彼女は両手に吊り革を握りしめた格好で、高みから逆三角形になった目で真直ぐに僕をねめつけている。初めて正面から見た彼女の顔は、老婆だというのにどことなくケンドーコバヤシに似ていて、それが不覚にもコミカルにして恐ろしい。
僕がすぐに目を逸らしたのは、剥き出しのピュアな敵意にドキリとしたのもあったが、日記ネタにしようと彼女の発する言葉をメール画面に記録する僕の行為が、奇妙なことに彼女の誹りとそれほど的外れな関係でもないことに、はたと気付いたからだった。
僕も妖精サイドに属していたのか。急に気恥ずかしさを覚えた僕はPHSを折り畳んで鞄にしまった。それを見届けた老婆は、今度は先ほどのサラリーマンに向き直ると、同じように荒ぶる敵意を視線に込めて戦わせていた。
この夜、余らせたチケットを、チキンジョージ前にいた男性に無償で手渡したのは、老婆が僕に浴びせた誹りと無関係ではなかったかもしれない。願わくばなにか良いことがありますように。