アンチ湯けむり慕情

poqrot2005-11-04

秋が深まるにつれて風呂場がめっきりと肌寒くなった。入浴中は冷気を厭って換気扇を回さないので、風呂から上がる頃には浴室から立ち込める蒸気で洗面所の鏡が曇って見えなくなる。こんな時、ドライヤーの熱風を吹きつければ数十秒のうちに結露は取れるのだが、そのためだけに時間を割くことがなぜだかとても煩わしい。
そこで試みるのがドライヤーを戸棚の取っ手にぶら下げる自動乾燥技。鏡に向けて宙吊りにしたドライヤーを顔が映し出される辺りに合わせ、コードを取っ手にぐるぐると巻きつけて固定する。そのままスイッチをホットにすると熱風は結露を飛ばし、やがてそれは鏡面との間に複雑で歪な作用反作用の動力を生じさせてドライヤー本体を左右に揺らす。そうやって作業エリアを広範囲とする実に画期的な反・湯けむり慕情システム事件なのである。
このシステムの肝は「○○してる間に」乾かせる、この一点に集約される。そのため乾燥中に鏡を凝視して効果のほどを見守るような事をしては手作業との差別化が果たされず、その存在価値は実に危ういものとなってしまう。
そこで僕はシステム稼働中には殊更に手ぶら感を強調するような行為の没頭に尽力している。
タオルで髪を拭きながら飛び散る水しぶきに顔をしかめて口笛を吹くであるとか、このところ目に余る腹の脂身をつまんでわざとらしく溜め息をつくであるとか、髪をかき上げながらびしょ濡れた身体で一心不乱に踊り出すであるとか、その勢いに乗じてハンドクラップが止まらないであるとか、腹肉をつまんで口笛を吹きながら踊り出したら床下からミシミシとラップ音が刻まれて隣室の父が今夜も眠れないであるとか、とにかくそうした諸々の超常現象に動じないくらい徹底的に、目前の装置への無関心を装い続ける。
そしてほとぼりが冷めた頃、グラングランに揺れるドライヤーにやおら気付き、澄み渡る鏡面の中にしたり顔を浮かべた中年体型のシルエットを確認するに至って、この小芝居は惜しまれつつも静かに幕を閉じる。