証明写真

免許証の写真映りに人は多かれ少なかれ不満を抱いているものだ。その程度こそまちまちなれど、写真映りが良いという人の話はあまり耳にしない。
それは「人に見られたい自分」を再現するのに、交通センターの撮影係に与えられた時間は多くないし、また彼らも流れ作業に身を委ねて非協力的な態度を貫く方が賢明だと考えているせいだからかもしれない。

しかしここで再考を促したいのは、証明写真と称する以上この写真は我々に対して既に何らかの証明をなしているのではないか、ということである。幾年もの間、ことあるごとに提示を求められ、人々の瞼に刻まれることになるこの写真には、本人の意志に寄らずある一面の真理が忠実に照らし出されていると考えて良い。
そして僕達は鼻先に突きつけられたこの現実から目を逸らしてはならないのだ。

そんな素直な気持ちに帰って今一度見つめ直してみた時、僕は自らの面持ちの中にげっ歯類の影を見い出す事も出来れば、髪型の中に発芽玄米の萌芽めいた突起物を認めることも出来るのである。

今はまだそれらが証明するところの真髄には触れられずにいるが、次の免許更新までにはその答えを見つけたい、そう考えている。