割り込み乗車の仕掛人

全国の通勤電車事情に明るい訳ではないが、イメージ的に大阪の割り込み乗車人口は随分と多そうだ。
構成の大部分をお年寄りが占めている気がするのは、優先座席付近において連綿と繰り返されてきた若者との抗争史に無縁ではあるまい。その不遇を考慮すれば、切羽詰まったゆえの侵入にもぐっと堪えて応じるべきところなのかもしれないが、いざ目前で割り込まれようものなら直ちに半身を差し込んで排斥と非ガンジー的手法に訴える事もしばしばある。これは僕が最も暴力性を垣間見せる瞬間でもあるのだが、そのあたりの後ろめたさは、先に乗り込んだ上で敢えて座らず、の選択肢をもって老人虐待を帳消しにする騎士道精神と替えさせて頂くことでなんとなく折り合いをつけつつ溜飲を下げることにしているのだが。

しかしこうした対抗手段が及ぶ範囲にも限界はあって、侵入者につけいる隙を与えるかのように乗車位置から距離を置いて立つ人が前方に存在したりすると、こればかりはもう手の施しようがない。携帯メールを打つなどして、一見しただけでは整列しているのかぼんやりしているのかが判別し難いスタンスを取る彼らは、ある意味で割り込み乗車の仕掛人と言ってもよい。乗車位置近辺に立っている以上こちらとしても尊重して後に続く他ないのだが、厄介なのは彼らが往々にして整列の意志なくしてそこに立ち尽くしているだけの場合があることだ。結果、割り込まれるべくして割り込まれた仕掛人の後ろで僕は苦虫を噛み潰す。
こうした正直者がバカを見る例は他にもあって、JR環状線が乗車位置印よりも扉一枚分行き過ぎて停車するのもその一例だ。ちゃっかり者が列の隣に陣取って一番乗りをかすめ取り、整列した者が後塵を拝す憂うべきシステム。そして損した者が次から利口に立ち回る事で、この血で血を洗う負の連鎖は断ち切られないでいる。