Mの起源

レコード店員時代の同僚にTさんという人がいた。彼女は全くマイペースで、およそ邪気の無い人だった。
ある時、会話中に突如として「ユミンポコがさあ…」と切り出したことがあったので「えっ?」と聞き返すと、「前に店来たことある友達やん。名前の後にンポコをつけるのがあーしらの間ではやってんねん。友達がユミンポコであーしはマキンポコ。ムラポンは下の名前なんやっけ?マサシンポコか、かわいいなあマサシンポコ!ハハハ」となんとも楽しそうだ。
僕は俵万智浜口雄幸らを引き合いに出して、このニックネーミングセンスが孕む危険性を唱えた上で、無邪気にも程があるしそしてそれがそうそう許されぬ妙齢に差しかかっている事を僭越ながら説いてみせた。
しかし、Tさんの天衣無縫な発言はそれから先も変わる事はなかった。

レコードショップの仕事のひとつにデイリーというものがある。前日に売れたアイテムをジャンル別に国内盤、輸入盤と分けてリスト化し、それを元に在庫数をチェック、補充していくという地道な作業。お客様の目に直接触れる在庫に穴を空けないことは地味だがとても大切な仕事だ。アルファベット順に並んでいるのだから簡単にチェック出来そうなものだが、これが企画で散在していたりジャンルがまたがっていたりアーティスト表記が違っていたりで案外時間を要する。

ある日、レジに入ったTさんが僕を呼び止めた。中途を余儀なくされたデイリーを僕に引き継ぐためだ。手渡されたリストを見ると、国内盤のチェックを終えて輸入盤に差しかかったあたり。Tさんはそのことを僕に伝えたかったのだと思う。国内盤(DOMESTIC)は終わっているから輸入盤(IMPORT)を頼むと。
レジから遠ざかる僕の背中に向ってTさんは大声で叫んだ。

「 イ ン ポ !」

後頭部を鈍器で殴打されたような衝撃を受けて僕は硬直した。勿論誹りに見合う形で、全身が、である。あまりに唐突過ぎて艶っぽいバッシングに立ち尽くしていると、聞こえていないらしいと判断したTさんは、声を届かせようとレジから上半身を乗り出すと一層大きな声を張り上げて何度も何度も繰り返した。

「イ・ン・ポ!」「イー、ンー、ポー!」「イッ、ンッ、ポッ」

時に激しくかき鳴らすように、時に優しく奏でるように。
午前中でまだまばらだったとは言えお客様のいる店内。レジ内の女子店員に性的不具を罵倒されて口応え一つ出来ない男子店員、この光景がお客様の目にはどう映ったのだろうか。この店はあまりにも性にオープンでかつ情け容赦がない、と。
それにしてもどうしてTさんに知られていたのか、それが不思議でならない。