poqrot2005-07-12

[思い出語りをしてしまう]*爽快グッズ
熱を帯びた湿気が僕の体にまとわりついた加齢臭を空気に溶かし、心ならずも雨の動物園の再現に尽力してしまうこの季節、どうしても手放せないエチケット用品が二つある。
フリスクとギャツビー・ダブルシステム・デオドラントペーパー。いずれもレコード店勤務時代に高いレベルのエチケット維持に欠かす事の出来ないアイテムとしてポケットに忍ばせていたものだ。僕のジーンズ後ろポケットにくっきり浮かぶ摩擦痕はスモーカーならぬフリスカーの証しである。

このフリスクを被せものが取れた下奥歯の虫歯痕に詰めるのが、当時レジ前の習慣となっていた。これならば不意の接客に口をモゴモゴさせるような失態を犯すことはない。奥歯に物の挟まったような言い方をしなくても済むという訳だ。
「いらっしゃいませ」「ありがとうございます」
丁重なやりとりの最中、虫歯痕からレジ周辺にそこはかとなく漂うミントの香り。
「今日ね、ミントの匂いがする男の人に会ったんだよ」そんな甘酸っぱい女子の会話を、ややもすれば酸っぱい部類の男子が演出出来たのであれば、この試みは大成功と言えるだろう。
フリスクなくしてアイドル店員としての僕はなかったのだ。

しかし、ギャツビーボディタオルに関しては、刺激をお求めの向きにもよほどの覚悟がおありでなければお勧めすることは出来ない。この尋常ならざる殺菌力には僕もいささか苦々しい記憶が甦るからである。

いつものように人気のないレジ時間帯だった。眠りの森から召還命令が下された僕は、すっかり弛緩しきった体に喝を入れんと、やにわにボディタオルを取り出すと眼鏡を外して目の周りを丹念に拭った。「顔、粘膜への使用は避けてください」という注意書きもこの眠気の前ではむしろ惹句である。これで爽快に目が覚めるはず、そう思った矢先、目の周囲に焼けるような痛みを覚えた。このボディタオルの効力は僕の想像を絶していたのだ。
眉をひそめ身悶えたまま動けなくなっていると「すみません」と女性の声がする。 ビクリとして誰だ!と身構えたが、お客さまであることに疑問の余地はない。なぜならばあまりの痛みにすっかり度を失っていたが、僕が立っている場所は業務時間内のレジだからだ。声のする方向に向き直って女優のような気概で目を見開こうと試みるが、皮膚から揮発する殺菌成分が粘膜を突き刺すようにしてそれを許さない。
「お、お待たせしました」僕はよろよろと手探りで商品を受け取り、僅かに開いた瞼からバーコードの位置を辛うじて見て取ると目を閉じたままスキャン。薄目を開いてお会計を読み上げて目を閉じ、薄目で代金を受け取りまた目を閉じる。遅々として進まぬお会計。薄目以上の開眼をよしとせぬこの店員が一つ一つの行程を噛み締めるような様を、彼女がいかなる感慨をもって直視していたか、その全てを伺い知ることは今となっては出来ない。ただ多少なりとも彼女の度肝を抜いたことには幾許かの自信がある。

ヨレヨレでレジ業務を終えて休憩に向うと、上司が僕の顔を見留めて驚嘆の声を上げた。
「大丈夫か?顔真っ赤やぞ!」
大丈夫です、と逃げるようにしてタイムカードを押した僕の目からは大粒の涙が溢れていた。